みんたまあな日々

東屋部川水門

水門mukasi
NHK-BSで変わったことに熱中している人たちを取り上げる番組がある。
ときどき見る機会があるのだけど、先日は「水門」マニアを取り上げていた。(ダムマニアも以前やっていた)
見終わって、父親がなにやら押し入れの奥から取り出してきた、一枚の4つ切りくらいのモノクロプリント。
「これ見覚えあるか?」と聞かれ、モノクロプリントを見る。
川を高台から写したモノ。遠景には見慣れた山の形。川の側には学校の校庭らしきもの。
「屋部川の水門だ」という。
山は嘉津宇岳、学校は屋部小学校。
モノクロプリントは昭和30年代ではないかということだ。
まだ小学校のまわりは、田んぼか畑ばかりだったそうだ。
屋部川もまだ護岸整備がされていない。
この水門は潮の干満によって自動的に開閉したそうだ。防潮水門というのか。
満潮の時は4㎞くらい上流(といってもそれほど高低差があるわけではないから)まで潮があがってくる。
以前は田んぼばかりの地域だったので潮があがってこられると稲の生育に影響がでるから、水門はとても大事なものだった。
ところが、昭和40年代にはいり、かつての田んぼや畑の宅地化が進み、水門の必要性がなくなってきたことと、川の護岸整備のためにとりこわされたようだ。
ちょうどそのころ、名護は町村合併の時期で、名護町、屋部村、羽地村、屋我地村、久志村が合併して名護市となった。

水門今
この画像が現在のようす。モノクロプリントの撮影場所は宅地造成で、土地が削られてしまったようで、同じ構図は撮影できなかった。
60mくらい河口側のポイントより撮影。中央の木が生い茂っているところが屋部小学校。遠くに嘉津宇岳。

水門今2
赤い色のところが水門があったところと思われる。(康)
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